現場で使える建設業界用語2 汚水処理

そもそも汚水とは?

そもそも汚水とは、し尿と雑廃水(生活排水)のことです。

し尿はトイレから出てくる糞尿(ウンチと小水)のこと、濃度は濃い。

雑廃水は主に台所と風呂場から出る排水のこと、し尿に比べ薄い。

ちなみに下水とは汚水に雨水を加えたもの。

汚水は処理が必要、雨水はそのまま河川に放流してOK。

この二つの水を合流して流すか(合流式下水道)、分流するか(分流式下水道)と言った課題もありますが、今回は焦点を絞り、汚水処理について解説します。

水の循環の仕組み 動脈(水道)静脈(下水道)

水は自然界で循環しています。

図にあるように、雲→雨→河川→浄水場→水道→生活用水→下水道→汚水処理場→河川→海→水蒸気→雲 このこサイクルで自然界を循環しています。

人間の体、血液の流れで例えると、動脈が水道、静脈が下水道、心臓が太陽、肝臓が終末処理場に相当します。

昔、人口が少なかった頃は、浄水場や下水道と終末処理場の仕組みはななった。河川上流から自然のきれいな水を引いてきて使い、汚れた水は河川にそのまま放流することでよかったのです。

都市に人口が集中するようになると、汚水をそのまま放流したのでは河川の汚れがひどくなり、水質汚濁の一時期の綾瀬川・神田川のように「死の川」と呼ばれる臭い川になってしまいました。

当然ながら河川から引く水道もそのままでは心配になり、浄水場できれいな水に処理するようになってきました。

そんな状況に中、なんとかしなければと言うことで、河川や海に流す排水の水質に縛りをかける法律が生まれました。水質汚濁防止法です(S45年)。

次の章で汚水処理方法の変遷を時代ごとに4つにまとめて解説します。数値は水質の汚れ具合を示す「BOD量:g/人日」を表します。

公共下水道方式は単独浄化槽方式に比べ80倍きれいな水質(32→0.4)に改善されたということです。

汚水処理方式の変遷1 戦前 「汲み取り」

戦前、生活排水はドブ(側溝)へ流し、し尿はバキュームカーが汲み取りに来て、し尿処理場へ運ぶ、という処理方法が当たり前でした。この頃の人口は7,200万人程度でした。さらに時代をさかのぼれば「し尿」は肥料として農村へ買い取られていた時代もありました。

汚水処理方式の変遷2 戦後高度成長期 「単独浄化槽」

高度成長期、人は農村から都市へ大移動します。さらに人口は1億人を超えます。都市は急激に拡大し、河川は排水で汚れ始めます。そんな中、昭和45年に水質汚濁防止法が制定されました。

コストの問題で、いきなり下水道設置はできない。まずは、臭い匂いの元である「し尿」を各自に処理させるようになります。

各自の敷地内に単独浄化槽を埋設し、「し尿」だけを処理して処理水を河川に放流する仕組みです。一方、雑排水は相変わらず河川へそのまま放流です。みなし浄化槽と呼ばれ、抜本的な解決には程遠い設備でした。

これだけでは河川の汚れは改善されません。単独浄化槽では浄化の程度が低く、むしろ以前のし尿処理場より改悪になってしまします。よかったのはバキュームカーでの「し尿」の搬送がないだけでした。

汚水処理方式の変遷3 平成時代 「合併浄化槽」

平成の時代に入りましたが、なかなか水質改善は進みません。根本的な水質改善には雑排水の処理をすることでした。そこで生まれたのが合併処理浄化槽です。「し尿」と「雑排水」を一緒に浄化する設備が登場します。

そして、平成12年にはそれまでのみなし浄化槽と呼ばれた単独浄化槽の新設禁止が通達されました。浄化槽の大きさは単独浄化槽に比べ大きくなりますが、水質改善は大きく改善しました。水質基準値は以前の1/8になりました。ちなみにこの頃人口は1億2000万人です。

汚水処理方式の変遷4 現在から将来 「公共下水道」

合併式浄化槽によって一定の水質改善は進みましたが、やはり衛生に関するインフラ設備です。各個人の管理ではなくインフラとして公共の管理下に置くべきという考え方で、汚水処理の最終ゴールは「下水道と終末処理施設の完備」ということになります。

この方式により、水質は合併式浄化槽に比べさらに1/10に改善されます。このおかげで河川は圧倒的にきれいになり、親水(水に親しむ)という概念が生まれ、親水公園が各地で盛んに作られるようになりました。

コストについては、ある資料によると、浄化槽の個人維持管理費が、点検・清掃・検査・電気代等で約4万円/年・所帯。下水道料金が同じような世帯で3.5万円と、ほぼ同等と言われています。

下水道設備が整った地域では、下水道接続義務化が進んでいます。公平性の問題などいろいろな意見がありますが、将来的には公共下水道への集約が汚水処理のゴールと考えています。

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