大人の散歩倶楽部 1 本佐倉城跡めぐり
千葉氏の拠点 埋もれた古城 本佐倉城跡を散策
千葉県の地名の元である、戦国時代の領主「千葉氏」の最後の居城本「本佐倉城」周辺を散策してきました。
佐倉市の「佐倉城」と紛らわしいのですが、今回の「本佐倉城」は別物です。
「佐倉城」の方が江戸時代の築城で天守閣跡や空堀など遺構が残されていて、桜の名所としてよく知られています。
佐倉城の方は元々は、千葉市の一族である鹿島氏の居城でしたが、江戸時代に土井利勝が改修して今の姿になっています。
江戸幕府の東の守りの要として存在して、幕府の老中経験者が城主となったことから、佐倉城の方が有名になったようです。
「本佐倉」は「もとさくら」と呼び、佐倉城の東6kmにあり住所は酒々井町となります。
『本佐倉城』は佐倉城より古く、戦国時代初期に千葉輔胤によって築城され、千葉氏が豊臣秀吉に滅ぼされるまで千葉氏最後の居城でした。
千葉市中央区の亥鼻城が千葉氏の居城として有名ですが、亥鼻城から内陸の本佐倉城に移り、ここで終焉を迎えました。
近年ようやく関東地方を代表する戦国時代の城跡として国指定史跡に指定されました。佐倉城が市指定史跡であり、本佐倉城は国指定ということで、歴史的価値は上と認められています。
現在でも戦国時代の郭や馬場、虎口、空堀、土塁、櫓台などが良好に保存されているとのこと。
現在、整備の真っ最中です。観光客でいっぱいになる前、今のうちに散策しようと思い立ちました。
本佐倉城跡 散策ルート
京成本線の京成佐倉駅の隣、本佐倉駅からスタートします。
本佐倉駅から東に向かい、本佐倉上跡、酒の井の碑、島田旧家、いちょう並木、JR酒々井駅とめぐります。
おおよそ5kmのルート、ゆっくり回って約2時間の散策です。
ひっそりした無人駅本佐倉駅から本佐倉城跡へ
ひっそりとした無人駅「本佐倉駅」から京成本線沿に東に進み、5分くらいで右折。
水田地帯を進みます。
水田は田植えの準備が始まり、水が引かれていて青空に映えます。
さらに田園地帯を5分も歩くと右手に小高い丘が見えてきます。
丘を回り込むと本佐倉城跡の入り口です。
整備も始まったばかりなのか、本当に何もありません。
下の正面の高いところが城跡です。
入り口から少し入ると、千葉氏の家紋「月星」の盾で防御の構えが見えてきます。
「月星」は妙見信仰の本宮、千葉市の千葉神社ゆかりの紋です。
城跡からは上の写真のように市中を見下ろしていたのでしょう。
敷地内には空堀がめぐらされています。
さらに空堀を進むとまた高いところへ、奥の山と呼ばれ、妙見宮を祀っていたらしい跡地へ。
城跡散策を終て丘をおります。
また田園地帯を抜けて東方向へ進みます。
酒の井の碑 親孝行息子の伝説
城跡から15分くらいで「酒の井」に到着。
「酒の井」と言って、酒の湧く井戸があります。酒々井町の名前の由来になった場所です。
酒好きの親父と、親孝行息子の伝説との説明書きがあります。
この親子だけが飲むとお酒になり、他の人ではただの水になるとのこと。どう言った意味の寓話なのか?
昔お酒は神事に欠かせない重要なアイテムだったことから、親孝行に対するご褒美だったのでしょう。
しかし、ご褒美をもらえるのは酒飲みの親父ってところが引っかかりますが。
千葉氏の信仰厚かった 下宿麻賀多神社
酒の井のすぐ近く、旧成田街道沿にひっそりとした神社があります。
下宿麻賀多神社。下宿はここの地名。この神社は千葉氏の信仰が厚かったと言います。戦国時代からの神社です。
末社が10社ほど合祀されています。
島田家旧家 野馬会所
島田家は江戸時代の建物です。旧成田街道に面しており、野馬会所として使われていたとのこと。
野馬会所とは、当時の物流の拠点事務所のこと。
街道の物流は飛脚と馬が主役であり、宿場町にはこう言った馬の世話をする物流拠点が配置されていたようです。
いちょう並木さわやか中央通りを経由してJR酒々井駅へ
島田家旧家から、成田街道(国道51号線)を横切り新興住宅街を通る「さわやか中央通り」でJR酒々井駅に向かいます。
ガイドではいちょう並木ということなのですが、まだまだ若いいちょうです。
おおよそ15分でJR酒々井駅に到着。京成大佐倉駅からJR酒々井駅まで2時間の散策でした。
動画もどうぞ。